妻が妊娠している最中、私の住む長岡市は二つの大きな災害に見舞われた。7.13水害と中越大震災である。 水害の時はまだ妻のお腹も小さく、私の住む地域は被害がほとんどなかったので妻の体の心配は少なかった。しかし、中越大震災の時はお腹も大きく、私の住む地域でも大きな被害があった。
 地震発生時に私たちは友人たちと一緒に、福島県に旅行に行っていた。そこで地震が発生し長岡も大きな被害を受けた事を知り、急遽長岡市に戻ってきた。

 職業柄、猛烈に忙しくなることはわかっていたし、余震もまだ続いていた。妊娠している妻を妻の実家である熱海に避難させようかとも思ったが、一人で帰すのも不安だったので、結局、妻を私の実家に預け、妻のことを心配しつつも復興へと動きまくった。

地震で活動は 復興ブログを見てください。

 様々な活動をする中である避難所に行ったときの事、私は避難者の要望などを聞いてまわっていた。避難者の方は「温かい食事が欲しい」とか「毛布が欲しい」といった要望を多く口にした。

 ある避難所に一人の若いお母さんと赤ちゃんがいた。同じ質問をすると「温かいお湯が欲しい」と若いお母さんは言った。私が理由を尋ねると赤ちゃんのミルクを作る為だという。切実な要望であった。しかし、役所に頼んでみても対応出来ないことは充分に予想された。私はすぐに自転車に乗った。自宅のガスコンロでお湯をわかして届けるためだった。

 私自身、災害現場ではボランティア活動で慣れていた。しかし、二人の姿が妻とこれから産まれてくる子供にオーバーラップしたのか、自転車に乗っている間、涙が止まらなかった。今回の地震でもっとも涙を流した瞬間だった。


 その後しばらくの間は、余震は続いていた。余震の度にお腹の子供が暴れていた。私はいたたまれない気持ちになったのだが、その事を妻と母に話すと、「動かなくなった方がよっぽど心配じゃない!」と二人して笑っていた。「女性は強いなぁ」と思ったのと、正直、少し傷付いた。